リチャード・ドーキンス 『神は妄想である 宗教との決別』 垂水雄二訳 早川書房 2007(原著2006)。
何はともあれ、こんな本を英国で出した著者の勇気に拍手。
この本の議論をしだすと長いので、とりあえず今回はさわりだけ紹介します。
シーデルの、戦争と平和観の5類型を紹介した時にも述べたことですが、議論を始めるにあたってはまず自分の立ち位置を明らかにする必要があると私は考えています。
そこで役に立つのが、本書79~80ページの、神の蓋然性のスペクトラム。要するに信心罰当たり度チェックです。さて、あなたは。
1 強力な有神論者。神は100%の蓋然性で存在する。「私は信じているのではなく知っているのだ」(ユング)
2 非常に高い蓋然性だが、100%ではない。事実上の有神論者。「神がいるという想定のもとで暮らしている」
3 50%より高いが、非常に高くはない。「非常に確信は乏しいのだが、私は神を信じたいと思う」
4 ちょうど50%。完全に公平な不可知論者。「神の存在と不存在はどちらもまったく同等にありうる」
5 50%以下だが、それほど低くはない。「神が存在するかはわからないが、どちらかといえば懐疑的である」
6 非常に低い蓋然性だが、ゼロではない。事実上の無神論者。「神がいないという想定のもとで暮らしている」
ドーキンスは自身を、「カテゴリー6にあてはめているが、7に傾いている」と規定しています。
私はというと・・・6.9ぐらいでしょうか。0.1は何教なのかと言いますと、私は子供の頃、自分がギャグマンガの登場人物ではないかという妄想にとりつかれたことがあったのです。保育園でわるさをして押入れにとじこめられた時など、真剣にドラえもんが助けに来てくれることを願ったものでした。実際、はるかな未来の国でドラえもんが作られる蓋然性は多いにあります。タイムマシンとなると可能性は果てしなく低くなりますけど。
困った時の神頼み、という心理現象が存在することは確かです。しかし、それと神が実在するかどうかは別の話だし、神に祈ることが正しいかどうかも別の問題です。