核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

と思ったらこれだよ

 昨日と同じ新無神論botより

 

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 新無神論bot

 
@AtheismBotJP
 
 
宗教の批判は人間の迷いを醒ますが、それは彼が醒めた分別づいた人間として考え、ふるまい、彼の現実を形成せんがためであり、彼が己れ自身をめぐって、したがってまた彼の現実的太陽をめぐって動かんがためである。―カール・マルクス
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 ……そのカール・マルクスを読んで、自分が「醒めた分別づいた人間」だと思い込んだのが、毛沢東でありスターリンでありレーニンです。
 新無神論者はことあるごとに宗教が諸悪の根源だみたいに言ってますが、無神論者だってそれ以上に狂信的になれる、という典型がマルクスとその信者です。
 新無神論というからには、マルクスのような旧無神論とは手を切ってほしいところです。

リチャード・ドーキンスのマルクス主義批判

 新無神論botというツイッターで、以下のようなドーキンスの発言が引用されていました。

 

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 ナショナリズムマルクス主義イデオロギーは、宗教と同様に暴力を「正当化」することができてしまう。我々はイデオロギーや宗教を減らし、より多くの批判的推論を備える必要がある。

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 右(ナショナリズム)と左(マルクス主義)のいきつく先はともに暴力だという意見は、当ブログも共有するところです。

弦斎研究17年。

 弦斎ひとすじ、というわけでもありませんが、17年もつきあっていて掲載論文が一本もないというのは寂しいものです。今度の「写真術」論は載ってほしいものです。

 あれは確か二〇〇四(平成一六)年だったと思います。「感覚表象とメディア」というお題で大学院のゼミ発表をすることになって、味覚を扱った文学をやりたい、などと後輩と話していると。

 

 「菅原さん、くいどうらくなんかどうっすか?」

 

 うかつにも当時の私は『ディスクールの帝国』さえ読んでおらず、『食道楽』の存在も知らなかったのでした。さっそくネットで調べて、こんな面白い人がいたのかと驚き、善は急げで『ディスクールの帝国』や『食道楽の人 村井弦斎』がある図書館に飛んだわけです。

 その後ダン・スペルベルの表象論など読んだりして、ゼミ発表は妙に小難しいものになってしまいましたが、わりあい好評を頂けました。弦斎という素材そのものがよかったのでしょう。

 亡き黒岩比佐子さんに異を唱えるわけではありませんが、私にとっての弦斎は「食道楽の人」であるよりは、むしろ「百道楽の人」です。矢野龍渓ゆずりの幅広い関心領域を持つ弦斎が、ただの食通扱いで終わってしまうのは残念なことです。なんとか弦斎が人生最後にたどりついた「平和道楽」を論文化したいものです。国会図書館に注文した資料が届けば、少しは新たな弦斎像が見えてきそうなのですが……。

 

 2021・12・22追記 『メディア・表象・イデオロギー』ではなく、『ディスクールの帝国』でした。訂正してお詫びします。

 

 

そういや今回バルト使わなかったな

 プラモデルが完成したと思ったら、でかいパーツが余ってたような、腑に落ちない感情を味わっています。せっかく『明るい部屋』読んだのに。

 まあいいか。バルトはいずれ本格的に取り組むことになるだろうし。