核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴『小幡山』(未読)

 一九〇三~一九〇四年、つまり日露戦争開戦期に、また村井弦斎『食道楽』や木下尚江『火の柱』とかぶる時期に、福地桜痴が『日出国新聞』に連載した歴史小説

 私は未読ですが、山田俊治『福地桜痴』三五二~三五三頁であらすじが読めました。

 兄は洋学、弟は国学を修める幕末の旗本、小幡兄弟。兄は小栗上野介と衝突して無役となり、借金を抱えるも、鳥羽伏見で官軍につき奥羽征討隊長となった弟に救われる、という筋だそうです。

 『女浪人』とはまた違った角度から語られる桜痴幕末史。桜痴が衆議院議員選挙に出てた時期ともかぶり、明治政府批判は期待できなさそうですが、集中力がある時に読んでみます。

饗庭篁村「劇評 歌舞伎座所感 一番目「女浪人」」(『演芸画報』1911(明治44)年7月号)

 あえばこうそん。一発変換できるけど、明治研究家以外にはほとんど知られていない文学者です。その篁村の、歌舞伎「女浪人」評。

 ・・・・・・この方も確実に、福地桜痴の原作『女浪人』を読まずに評を書いています。

 

 「徳川慶喜公を億川禎喜(おくがはていき)などゝ憚りて有る所、歯がゆいやうなとこもあれど、少しは当時の様子見ゆるはサスガ原作柄なり」

 

 とありますが、原作では徳川はじめ関係者ほぼ全員実名です(芹沢鴨は芹川鴨ですが、あれは桜痴が素で間違えたのでしょう)。その他も、仲居のお信が暗殺を止める場面以外は全面的に違う話になっています。

 まあ、大量に上演される歌舞伎の原作まで一々手が回らなかったのは仕方がないのでしょうが、篁村の批評は、『都新聞』の青々園の批評と比較しても、あらさがし、あげあしとりに終始しています。

 仲居のお信が百両もの大金を持っているのは不自然だ、なんて言ってますが、「これが亡父より託されし銭300文」なんて中途半端にリアリズムな歌舞伎がありますか。

 饗庭篁村の批評からうっすらと浮かび上がってくるのは、批評家という特等席に身を置く者のほめ惜しみっぷり、マウント取りっぷりです。

 ただ、「帝国劇場にもピーシヤラドンドコ劇あれど」とあるのはいい情報でした。幕末ブームだったのでしょうか。また国会図書館で演劇雑誌を見直すことになりそうです。

『紛争と平和構築の社会心理学 集団間の葛藤とその解決』その1

 D・バル・タル編著。熊谷智博・大渕憲一監訳。北大路書房 二〇一二。

 三七五頁の大著です。連休の読書にあてようと思ったのですが、届いたのは連休明けでした。副題にある、集団「間」の葛藤、という箇所に惹かれまして。

 少しずつでも通読していこうと思います。単著『戦争の止め方』のためにも。

校小説、社小説、国小説・・・・・・?

 是非は別として、「私小説」というのは確かに実在します。

 「公小説」というのは、検索しても出てこないようです。

 校小説、社小説、国小説というのもないようです。いや、学校や会社や国家を舞台にした小説ならいくらでもありますが(国家を舞台にしていない小説のほうが珍しいくらいです)、ここで言っているのは、学校が書いた小説、会社が書いた小説、国家が書いた小説のことです。

 あるわけないと思われるかも知れませんが、校歌、社歌、国歌は確かにあります。

 企業や国家は万能のように見えますが、小説を書くことだけはできないようです。

 組織には決してできないけど、個人にだけはできるもの。小説というメディアの今日における特異性といえそうです。共作・合作という手法はありますが、歴史に残る傑作はないようです。ましてや「小説制作委員会」なんて組織で、まともな小説が生まれるとは思いません。

 ・・・・・・といったような問題意識を、なんとか「「文字」と「声」の往還」という論題に持っていけないものでしょうか。むしろ、文字と声の断絶という線のほうがいいかも知れません。

 

 

護憲派なりの戦争の止め方、その一例

 憲法九条で国が守れるか、と改憲派は問います。私は、憲法九条「だけ」で国が守れるとは思わず、それを補完する、軍事力ではない何かの必要を痛感してはいますが、護憲派なりの戦争の止め方を示さなければとも思っています。その一例を。

 改憲派は戦争といえば外国からの侵略だけを恐れていますが、私がそれと同時に恐れるのは日本が侵略戦争の当事国となることです。それを防ぐためには、日本国内の戦争を扇動しかねない者たちを、選挙やリコールや言論などの民主的な手続きによって権力から遠ざけること、それが必要だと考えます。

 天皇を元首と規定し、内閣総理大臣国防軍の最高指揮官とする自民党改憲案では(それだけが問題ではないのですが)戦争を扇動しかねない者を権力から遠ざける仕組みが有効に働かないのではないかと、私は憂慮します。民主主義と平和主義はイコールではありませんが、親和性があるのは確かです。少なくとも独裁制と平和主義よりは。

 「戦争を扇動しかねない者」といっても、戦後生まれの方には(私も戦後生まれですが)、ぴんとこないかもしれません。リアルに戦争を扇動した者の典型例を。

 

 小林秀雄語録―なぜ戦争は起きたのか - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com)

怪僧ラスプーチン

 皇太子の病気を治したとかでロシア皇帝一家に取り入った、グリゴリー・ラスプーチン(1869ー1916)。

 日露戦争の影でも暗躍してたんだろなと思いきや、上記の事件は日露戦争終結後でした。なお第一次世界大戦への参戦には反対してたそうです。

 しかしその最後を見ると、ヒットポイント半端ないですね。青酸カリ入りの紅茶を飲まされ、心臓と肺を銃弾が貫通してもまだ意識があり、頭部を撃たれてやっと死んだそうですから。格闘ゲームワールドヒーローズ)にも登場するわけです。