是非は別として、「私小説」というのは確かに実在します。
「公小説」というのは、検索しても出てこないようです。
校小説、社小説、国小説というのもないようです。いや、学校や会社や国家を舞台にした小説ならいくらでもありますが(国家を舞台にしていない小説のほうが珍しいくらいです)、ここで言っているのは、学校が書いた小説、会社が書いた小説、国家が書いた小説のことです。
あるわけないと思われるかも知れませんが、校歌、社歌、国歌は確かにあります。
企業や国家は万能のように見えますが、小説を書くことだけはできないようです。
組織には決してできないけど、個人にだけはできるもの。小説というメディアの今日における特異性といえそうです。共作・合作という手法はありますが、歴史に残る傑作はないようです。ましてや「小説制作委員会」なんて組織で、まともな小説が生まれるとは思いません。
・・・・・・といったような問題意識を、なんとか「「文字」と「声」の往還」という論題に持っていけないものでしょうか。むしろ、文字と声の断絶という線のほうがいいかも知れません。