『高知論叢』(二〇二一年一〇月)。
やっぱり、マルクスが言う"Erde”は地球じゃなく土地でした。
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「資本主義時代の成果―すなわち,協業と,土地の共同占有ならびに労
働そのものによって生産された生産手段の共同占有―を基礎とする個人的所有
を再建する。」(社会科学研究所監修・資本論翻訳委員会訳『資本論』新日本出
版社・第1巻b ,1301ページ。なお,私が読み込んだ長谷部文雄訳青木書店版
もマルエン全集㉓ b も「共同占有」を「共有」としているだけで基本的に変
わらない。)
(西野論5頁)
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西野論にはドイツ語原文もついてますが省略。問題は1行目の「土地」です。
斎藤著ではここを、「地球」と訳しています。
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ところが,斎藤は,その著書143ページにおいて,この下線部分を「協業
と,地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基
礎とする個人的所有をつくりだすのである。」などととんでもない偽訳を読者
の前にして見せるのである。
「土地(der Erde)の共同占有 (des Gemeinbesitzes) ならびに・・生産手段
の共同占有」の部分を「地球と・・生産手段をコモンとして占有すること」な
どというとんでもない偽訳をして見せるとはマルクスも目を丸くするだろう。
(西野論六頁)
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「土地の共同占有」と、「地球の共同占有」では大きな違いです。
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“Erde” は辞書上からは「地球」でも許されるが,ここでマルクスが述べて
いることは,労働・生産主体による2種類の生産手段の「共同占有」つまり〈人
間の関与(労働)を経ないで天然に存在する生産手段としての土地〉と〈労働
そのものによって生産された生産手段〉の2種類の生産手段の「共同占有」の
ことなのであって,生産手段としての「土地」と訳さなくてはならない。労働
主体による生産・取得活動においてその生産手段となる土地は,地球上の大地
のごく限られた一部だから「土地」なのである。「地球」などと訳せば,文字
通り全人類あるいは全生物の生息基盤である北極・南極 , 5大陸、 7つの海を
有する一つの惑星としての茫漠とした広大な「地球」を意味する以外になく,
ここに当てはめるなど論外のことである。
(西野論六頁)
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マルクスの『資本論』が刊行されたのは19世紀後半。日本でいえば明治前期。とても「地球をコモンとして占有」などといえる時代ではありません。
西野氏はマルクス研究で学位を取ったお方のようで、思想上の立場は私と異なりますが、斎藤氏よりも西野氏に、私は同意します。
なお私はこの書評を、ほかならぬ斎藤氏の「「トンデモ書評」といえば、こちらもご査収くださいwww」というコメントつきのツイッターで知りました。斎藤氏におかれましては、”Erde”を「地球」と訳した根拠だけでも、いずれ示して頂きたいものです。当方も少しはドイツ語を学んでおきます。