核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アトミック日光浴

 なんか占領軍のえらい人が、日本国憲法草案を日本側につきつけた時、原子力日なたぼっこをしていたとか言った挿話。前から気になっていたのですが、加藤典洋敗戦後論』一九~二〇頁に出典らしきものがありました。加藤著から孫引き。連合軍総司令部民政局局長コートニー・ホイットニーの発言。一九四六年二月十三日のことだそうです。

 

   ※

 やがて、検討をはじめた日本側閣僚のいる家屋すれすれに爆撃機一機が「家をゆさぶるように」飛びすぎていく。検討時間が過ぎ、一同が部屋に会した時、ホイットニーは、こういったという。

 「原子力的な日光(アトミック・サンシャイン)の中でひなたぼっこしていましたよ」

 加藤典洋敗戦後論』一九頁

   ※

 

 もちろん太陽は核融合であって、広島・長崎に落とされた核分裂型の原子爆弾とは違うのですが、それはおいといて(いずれ論じるかもしれません)。

 原子力の平和利用なんてものが想像もできない当時、この発言は原子爆弾の威力による威嚇ととられてもしかたがないでしょう。加藤は「戦争の放棄」を含む憲法条文が、こうした威嚇による押し付けであり、ねじれをはらんだものだと主張しています。

 護憲論者としては反対意見を出したいところですが、またいずれ。

 

西野勉「斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書(2020年9月)に おけるマルクス利用・援用の問題性  「脱成長コミュニズム」主張のための我田引水解釈・捏造・虚言・妄言について」  

  『高知論叢』(二〇二一年一〇月)。

 やっぱり、マルクスが言う"Erde”は地球じゃなく土地でした。

 

   ※

 「資本主義時代の成果―すなわち,協業と,土地の共同占有ならびに労
働そのものによって生産された生産手段の共同占有―を基礎とする個人的所有
を再建する。」(社会科学研究所監修・資本論翻訳委員会訳『資本論』新日本出
版社・第1巻b ,1301ページ。なお,私が読み込んだ長谷部文雄訳青木書店版
もマルエン全集㉓ b も「共同占有」を「共有」としているだけで基本的に変
わらない。)
 (西野論5頁)

   ※

 

 西野論にはドイツ語原文もついてますが省略。問題は1行目の「土地」です。

 斎藤著ではここを、「地球」と訳しています。

 

   ※

  ところが,斎藤は,その著書143ページにおいて,この下線部分を「協業
と,地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基
礎とする個人的所有をつくりだすのである。」などととんでもない偽訳を読者
の前にして見せるのである。
「土地(der Erde)の共同占有 (des Gemeinbesitzes) ならびに・・生産手段
の共同占有」の部分を「地球と・・生産手段をコモンとして占有すること」な
どというとんでもない偽訳をして見せるとはマルクスも目を丸くするだろう。

 (西野論六頁)

   ※

 

 「土地の共同占有」と、「地球の共同占有」では大きな違いです。

 

   ※

 “Erde” は辞書上からは「地球」でも許されるが,ここでマルクスが述べて
いることは,労働・生産主体による2種類の生産手段の「共同占有」つまり〈人
間の関与(労働)を経ないで天然に存在する生産手段としての土地〉と〈労働
そのものによって生産された生産手段〉の2種類の生産手段の「共同占有」の
ことなのであって,生産手段としての「土地」と訳さなくてはならない。労働
主体による生産・取得活動においてその生産手段となる土地は,地球上の大地
のごく限られた一部だから「土地」なのである。「地球」などと訳せば,文字
通り全人類あるいは全生物の生息基盤である北極・南極 , 5大陸、 7つの海を
有する一つの惑星としての茫漠とした広大な「地球」を意味する以外になく,
ここに当てはめるなど論外のことである。

 (西野論六頁)

   ※

 

 マルクスの『資本論』が刊行されたのは19世紀後半。日本でいえば明治前期。とても「地球をコモンとして占有」などといえる時代ではありません。

 西野氏はマルクス研究で学位を取ったお方のようで、思想上の立場は私と異なりますが、斎藤氏よりも西野氏に、私は同意します。

 なお私はこの書評を、ほかならぬ斎藤氏の「「トンデモ書評」といえば、こちらもご査収くださいwww」というコメントつきのツイッターで知りました。斎藤氏におかれましては、”Erde”を「地球」と訳した根拠だけでも、いずれ示して頂きたいものです。当方も少しはドイツ語を学んでおきます。

 

 

 

そろそろ戦後に手を広げたいところだが

  漱石の「夢十夜」と『明暗』で卒論・修論を書き(さんたんたる出来でしたが)、『明治の平和主義小説』という博論を書いた(題は変ですが、こちらはまあまあ満足)私ですが、そろそろ本格的に戦後(1945(昭和20)年以降)に手を広げようと考えています。

 問題は資料の入手しにくさでして。明治大正、昭和戦前期の資料というのはたいてい国会図書館にあり、デジタルでもけっこう読めるのですが、戦後の雑誌・書籍となるとそうもいかないことが多くて。

 研究費が出るあてもないので、戦後文学研究は広く浅くという方針になるかと思います。

西川長夫『国民国家論の射程―あるいは「国民」という怪物について』(柏書房 一九九八)入手予定

 はたして国民国家論の射程とは。

 24年も前の本ではありまして、とうの昔に熟読しているべきだったのですが。機会に恵まれませんでした。

 今更のように気になりまして。たぶん加藤典洋敗戦後論』への言及もあるはずです。

顔を洗って出直してきます。

 小林秀雄湯川秀樹の対談、「人間の進歩について」を、ここのところ読んできたのですが、どうも今の私にこれで論文を書く力量はないことに気づき、断念しました。

 初出、小林全集、湯川編著の異同はつきとめられたので、ただの校訂ならそれですむのですが、なぜ書き換えられたかになると、私の理解力を超えています。特に湯川秀樹の発言の異同。物理学的に正しいのかもわかりません。

 対談で小林が言及している、渡辺慧の論文が入手できれば助けになるかとも思ったのですが、『サンス』という雑誌は国会図書館にもないことが判明しました。『日本の古本屋』で検索すると、それらしき時期の「フランス学術研究」という副題のついた雑誌がヒットするのですが、手の出ないお値段で。

 近代文学と物理学、双方に詳しい方にはぜひ挑戦していただきたいテーマです。

 

 2023・2・25追記 湯川秀樹『思考と観測』を読み、渡辺慧『時間』を読んだら(デジタルコレクション様に感謝)、扱われているトピックへの理解がだいぶ進みました。再挑戦します。

加藤典洋『敗戦後論』(講談社 一九九七)

 敗戦後の平和論の「ねじれ」を突くと称する論説。

 

   ※

 三年前(一九九一年)、湾岸戦争が起こった時、この国にはさまざまな「反戦」の声があがったが、わたしが最も強く違和感をもったのは、その言説が、いずれの場合にも、多かれ少なかれ、「反戦」の理由を平和憲法の存在に求める形になっていたことだった。

 わたしは、こう思ったものである。

 そうかそうか。では平和憲法がなかったら反対しないわけか。

 (一四頁)

   ※

 

 ・・・・・・もちろん、私はたとえ日本国憲法改憲されても反戦を訴え続けますし、多くの平和主義者もそうでしょう。加藤の「ねじれ」論は、おおむね、日本の平和主義は敗戦と日本国憲法によって押し付けられた、「ジキル氏とハイド氏」(いわゆる二重人格)のようなものだという思い込みから来ています。

 このブログをお読みの方であれば、あるいは菅原健史の博士論文をお読みの方であれば、敗戦前にも膨大な平和主義・反戦言説の蓄積があったことをご存じかと思います。

 日本国憲法が敗戦後の日本国民に受け入れられたのは、そうした蓄積があればこその結果であり、占領軍の押し付けでできたわけではありません。

 加藤が敗戦前、また敗戦中の言論について無知な証拠はこの本のあちこちに見られます。反戦派についてのみならず、小林秀雄福田恆存河上徹太郎といった主戦派についても無知です。本来「ねじれ」と称すべきなのは小林ら、戦時中の戦争礼賛言説を隠蔽して、発言してもいない言葉で座談会記事を改竄した側なのですが。彼らへの批判は加藤著には皆無です。結果として、『敗戦後論』は平和主義を不当に責め、自称保守派をこれも不当に讃える著書になってしまっています、

 私も戦後平和主義について多少の不満はありますが(だからこそ、研究をまず「明治の平和主義」から始めたわけです)、加藤のいう「ねじれ」とは異なるものです。