「後藤新平」の章より。『三十年後』に後藤の案が入っている説。
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そのころ(引用者注 1918(大正7)年4月、後藤夫人の死去した時)、私の父は『三十年後』という未来小説を出版した。薬の進歩によって社会が向上するといった内容で、会社のPRにもなっている点が目新しい。
最初のところで、新しい東京港が出てくる。東京築港はのちに後藤が実現化をはかるが、すでにこのころ話題にしていたのであろう。また、汽車の排煙によって上野の山の緑がなくなる描写もあり、後藤のアイデアも入っているようだ。
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もう一つ、作中にある「和製のルーズベルト」発言の由来。
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後藤の頭脳は回転しつづけだったのだ。鼻眼鏡をかけはじめたのも、そのころであった(引用者注 1908(明治41)年、第二次桂内閣での逓信大臣時代)。
アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトもそうであり、奮闘努力主義をとなえて大活躍をしていた。そんなところから、後藤は和製ルーズベルトと呼ばれるようになった。
(407ページ)
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どんどん調べるべきことがふえていきます。こういう苦労なら大歓迎です。