核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『三十年後』と『われら』

 あまり似ているとは思えない二作品ですが、共通点をあげるとすれば、単独の「われ」であることからの逃走、といったところでしょうか。
 レーニン政権下のソ連をモデルにした『われら』の未来社会では、個人が「われ」としての意識を持つことは否定され、男女を問わずD1号だのO7号だのといったコードネームで呼ばれることになり、「単一国」国民の大多数はそれに満足しています。
 『三十年後』の社会はそこまでひどくはないのですが、「人体焼付写真」で自らの外見を改造し、有名人になりすます名誉詐欺師が横行しています。
 衣食足りた理想社会だろうと、自分自身であること、自分自身でしかないことの辛さは変わらない。そのあたりを論文にうまく盛り込みたいものです。