核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

民主主義者カリストラチウス

 矢野龍渓経国美談』中にも、ムフ的な闘技的民主主義の体現者がいないもんかと探したら。
 それに近い人が見つかりました。『経国美談』後篇の登場人物、阿善(アゼン)純正党の若手政治家、カリストラチウス。平等主義者ヘージアスに対する批判者として登場します。
 ちょっと長文を打ち込む気力がないので引用は省略しますが、要点は、彼が対ヘージアス策をあれこれ講じる中に、暗殺やテロをほのめかす箇所が一つもないこと、五百名会という舞台で「全力を盡し」ヘージアス案を否決すべきだと述べている点です。当たり前じゃないかと言われるかも知れませんが、同作品前篇では主人公三人のうち二人が反政府テロに加わり、うち一人が専制党リーダーを殺害している、そういう小説の中での話です。カリストラチウスの非暴力性と、討議(この場合はごんべんでしょう)への信頼は特筆に値します。
 これだけだとごんべんの「討議的民主主義」者なのですが、彼は一度阿善を亡命した後、農夫姿で阿善の将軍二人の前に現れ、暴民政権への武力鎮圧をそそのかします(ここは評価の分かれるところです)。鎮圧が成功した後、カリストラチウスらは「昨日までの政体のままがいいか、それ以前の政体に戻るか」の投票を実施して民主制を回復します。なお、ヘージアスは自分が作った暴民政権によって逮捕されていたのですが、獄中で殺されているところを発見されます。
 要約してみて気づいたのですが、ムフとぴったり重なるわけではないようです。ムフの「闘技的民主主義」は意見の違う相手を闘技すべき「対抗者」とみなすものであって、暴力や殺戮を行うべき「敵」とみなすものではありません。
 一方カリストラチウスは、自身は手を汚していないとはいえ、けっこうな数の犠牲者を出しているわけで、闘技者の名に値しないかも知れません。
 とはいえ、この特異な人物をスルーするのは惜しいので、ムフとは別の文脈で使うかもです。
 ……一応、バルバロイ様の「ヘレニカ」で、該当する人物が実在するか確認したところ、「民衆指導者のカリストラトス」が出てきました。事績に重なる所はほとんどないので、龍渓の創作人物と見なしてよさそうです。