核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「慶子、クビだ!ん?」

 全国の慶子さんごめんなさい。というわけで、今回はらちもない雑文にします。
 
 ムフは「シュミットとともに、シュミットに抗して」という言い方をしているそうですけど、謙遜に過ぎる気がします。シュミットの「友/敵」論とムフの「対抗者」論では、『ドラゴンボール』初期に例えれば、ピッコロ大魔王とマジュニア選手ぐらい違います。「ピッコロさん」「神コロさま」は単なる「友」なので、また別の話で。

 ドラゴンボールついでに言うと、天下一武道会には「相手を殺したら失格」というルールがありまして。マジュニア選手もそれを守ってました。「ヘゲモニー」を「天下一」、「闘技的」を「武道会」と読み替えると、ムフ理論の理解が進むのではと、少年ジャンプ的感性の中年は考えております。

 シュミットという人はナチスの御用学者で、そのナチスからもリストラされた人ですが、現代思想かいわいでは変な人気がありまして。ムフの「対抗者」概念によって乗り越えられ、ふみ越えられることを願うしだいです。誰かを「敵」と決めつけ排除するのが政治だとは、私は思いません。

 かといって、みんなを「友」とみなす「友愛の政治」というのも、少なくとも私にとっては気色悪いものです。暑苦しくも寒々しくもない涼し気な関係、それが私の理想です。

 そんなわけで、「対抗者」という他者のとらえ方は、私の人間観・政治観に合っています。他者の大多数は、「友」と呼ぶには相違点が多過ぎ、「敵」と呼ぶには相似点が多すぎるものです。

 私は現代思想アレルギーの気があるのですが、以上のような理由で、ムフの著書はひさびさに快感でした。二十年ごしのコンプレックスから解放してくれた感さえあります。実現可能な代替案を示す理論というのはいいものです。

 『経国美談』の面白さは、平等・民主・平和の諸価値が闘技的・対抗者的に入り乱れて経国カオスと化す後編にこそあると私は思うのですが、ネットで感想を見ると前編の勧善懲悪ぶりにうんざりして、後編は読むまでもないと断念してしまった方もいるようです。惜しいことです。

 「慶子、クビだ!ん?」「だ!」(ビク!)「小池!?」だと、前に書いたのよりましな回文になりそうです。上司を小池よばわりするからクビになるんだ慶子。