核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柳田泉の『経国美談』観、共和政治について

 立憲改進党君主制を提唱していたにも関わらず、矢野龍渓が『経国美談』で描いたのは共和制であった、という問題について、柳田泉はこう書いています。

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 だが、それだからとて龍渓が共和政治を理想とし、日本に共和政治を採用しやうとしたのだなど考へるのは、これ程大きな誤解はあるまい。共和は自由党さへ公然と唱へぬもの且つ龍渓等の改進党の綱領第一条によつても、明白に君主立憲政治の意味が出てゐるし、この小説によつても、後年はともかく当時の龍渓は細民(今日の大衆)が第一に政治上に跋扈する如き共和政治を嫌忌してゐるらしく見える 後篇第二、三、四回辺の阿善の平邪の乱の條を見よ)。従つて龍渓の希望し謳歌した民政(傍点)とは厳密な意味での共和政治といふことではなく、人民の参政を許してゐる政治、精々で民本政治といふ程の義と解すべきであらう。矛盾といへば矛盾、曖昧といへば曖昧だが、その点はこの程度に解し、強ひて追究しなくて可い。
 栁田泉「経国美談とその政治思想―「明治初期政治小説の史的展開」の一章」
 『クオタリイ 日本文学』第2輯 一九三三 一七ページ
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 …同意しかねます。『経国美談』に描かれた斉武国は混じりけなしの共和制であり、「精々で民本政治」というような、曖昧さや矛盾の余地はありません。時代の制約にとらわれて事を曖昧にしているのは、明治の矢野龍渓ではなく、昭和の柳田泉のほうです。
 では、矢野龍渓は本気で日本に共和政治を採用しようとしていたのか。現段階では証拠不足ですが、そうだったと私は考えています。