童話作家、小川未明の戦前・戦中・戦後の無節操ぶりを徹底的に追及した論文で、増井氏の一連の業績の集大成です。
まず大正期。社会主義者、マルクス主義者として、「さながら、革命家のアジテーション」のような言説をなしていました。
そして昭和戦前期。具体的には昭和一二年(盧溝橋事件直後)の童話「僕も戦争に行くんだ」で国策協力を始め、天皇制と戦争を賛美します。
さらに昭和戦後期。「つい前年まで、子どもに戦争協力を焚き付けていた童話作家は、一転、反戦平和の旗振り役へと豹変」します。何の自己批判もなしに。
まったく腹立たしい話で、ではなんでそんな未明が批判されなかったかというと、「児童文学というニッチな業界」ゆえと、他の児童文学者も「脛に傷を持つ身」だったから、だそうです。
私がかねてから注目している大正九年の反戦童話「野薔薇」については、「恨みのない善人同士が国家の都合で敵味方に分かたれる悲哀を描いた童話」として、「強い大将の話」とともに挙げています。そうした名作も書いていた未明が、なんでああなってそうなったのか。こうなると、「野薔薇」の脆弱性も検討しなければなりません。