同書より、まずはアルチュセールの人生をざっと。
一九一八年、フランス領アルジェリア生まれ。
一九四〇年、パリの高等師範学校に合格するも動員。敗戦によりドイツ軍の捕虜に。
一九四五年、終戦により復員。カトリックと共産主義に同時に惹かれる。
このへんまでは同情できます。同時代の多くのフランス青年もそうだったのでしょうが、ナチスドイツの捕虜収容所で、貴重な青春を五年間。鬱にもなるわけです。
一九六〇年代、中ソ対立、マルクス主義者となったアルチュセールは「理論的」には中国を、「実践的」にはソ連が正しいとする。
一九六八年五月、反乱派の学生と、共産党のどちらにも秋波を送る。
市田著はこうしたアルチュセールの態度を「増殖する二股」と表現しています(二二ページ)。実生活でもエレーヌ夫人と人妻たちの二股だったそうですが、思想的にもカトリックとマルクス、スターリンと毛沢東、学生と党といった具合の二股。
一方、彼が一顧だにしなかったのが、「ヒューマニズム」です。「善意」「良心」「自由」「人格」、そういったものはすべてブルジョア的であり否定すべきものとしています。
一九九〇年没。
殺人事件を機に離れた人も多いようですが、今でも全盛期の『マルクスのために』や『資本論を読む』(いずれも一九六五)を評価する人々もいます。
私も『資本論を読む』を読もうと思っているわけです。上記の通り人間的にはまったく尊敬できない人物ですが、その後世への影響は無視しがたいものがありまして。