核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

外集団を複数視する必要性

 「ガイジン」とか「よそもの」とか「異教徒」という言葉に見られるように、外集団はしばしば単一視され、単純化されがちです。ただの単純化ならまだ害はないのですが、それがエスノセントリズム(自民族中心主義)と結びついた場合、外集団を敵対視、ひどい場合にはデモナイゼーション(悪魔視)することがあるのは、世界平和を考える者にとって由々しきことです。

 世界平和(内集団と外集団の平和のみならず、外集団どうしの平和をもめざす平和主義)のためには、まず外集団はつねに複数存在することを理解することが必要なのではないでしょうか。あたりまえと思われるかもしれませんが、戦争中の文献など読んでいると、そのあたりまえがあたりまえでなくなる恐ろしさが理解できます。「五族協和」だの「八紘一宇」だのは内集団の妄想的拡大であって、外集団理解ではないのです。

 ……「写真術」論はどうなったんだって。まんざら無関係でもないようです。光と闇の二元論から、複数の光による多元論への認識の変化。