核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

太宰治を「ヒステリイ」としか評価できない小林秀雄

 そもそも小林秀雄という批評家は、過去の評価が定まった大作家を讃えることはできても、同時代の新しい才能を正当に評価することはできない批評家でした。

 その好例が、小林秀雄太宰治観です。正宗白鳥との対談「大作家論」(『光』一九四八(昭和二三)年一一月初出 今回の引用は第五次『小林秀雄全集 第八巻 モオツァルト』より)。

 

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 小林 太宰治という人も、ちっとも知らないでいましたが、この間ああいう事件があって、好奇心にかられ、初めて読みました。

 (三七三頁)

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 この間のああいう事件とは玉川上水での自殺のこと。つまり生前は太宰治の作品を一度も読んでいなかったわけです。

 さらに志賀直哉への太宰の攻撃文、「如是我聞」について。

 

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 小林 太宰って人はバカじゃありません。ヒステリイです。バカとヒステリイは違いますからなあ。ヒステリイにはヒステリイの智恵がある。志賀直哉という人を亭主関白に見立てた、あれは文章だと思ったです。あのくらい素質をぶちまけた文章は珍しいですな。素質の氾濫なのですよ。礼を失したとかなんとかそんなつまらんことではない。つらい話です。文士稼業もつらいこったということです。

 (三七五頁)

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 この正宗白鳥との対談、小林秀雄が後で削り、しかも編集部に削り料を要求したという当の対談なので、この通りの発言が正宗白鳥との間になされていたかどうかは定かではありません。しかし、上記のような文章が残されている以上、小林が太宰になんら敬意を抱いていなかったことは確かなようです。