核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

二〇二三(令和五)年をふりかえる

 今年は不本意な一年でした。特に上半期は。

 渾身の伊藤野枝「火つけ彦七」論がボツになり、それとさらに一本の論文が、PCの故障で消滅してしまいました。同じものを書いても仕方がないので、伊藤野枝論をまた書く時は別の題材でやるつもりです。

 下半期はまあまあかな。村井弦斎の未発見小説『水の月』(北海道毎日新聞 一八八九)の題名をネット上で見つけ、国会図書館で閲覧・コピーできました。

 そのご縁で平塚や豊橋の弦斎研究者のみなさまともつながりができました。念願だった、神奈川近代文学館の弦斎資料を閲覧することもできました。

 しかし、『水の月』の作品論は書けませんでした。これも伊藤野枝の「火つけ彦七」同様、主人公が差別される側の人なので、差別についてのしっかりした見識を持たないことには載る論文は書けそうもないと思い、つい後回しにしてしまったわけです。他の方に先を越されるかも知れませんが、それもやむを得ません。

 年末は谷崎潤一郎小さな王国」論が書きたくなり、貨幣論・経済学をあれこれ学びましたが、年内に書き上げることはできませんでした。

 二〇二二年から持ち越した、単著『戦争の止め方』も、結論を書き切るには至りませんでした。村井弦斎をはじめとする過去の文学者たちがどう戦争を止めようとしたか、それらがなぜ失敗したか、ならいくらでも書けるのですが、かんじんの結論、「ならどうすれば戦争は止められるのか」が書けないのです。

 年の瀬になって読み直した、石川啄木「我等の一団と彼」あたりが、もしかしたら突破口になるかも知れません。「我等の一団」からの解放。これは「小さな王国」論を終えてから考えてみます。

 来年はまず「小さな王国」論をすみやかに完成させることを第一目標にします。