明治初期の平和主義、民主主義の先駆け的存在、植木枝盛(うえきえもり。1892(明治25)年没)。
実生活ではいろいろと変な人だったらしく、島原の芸者に「我他日志を得て京都の知事たらば、市街の上はことごとく硝子の天井を張らせ、夏時は金魚を遊泳せしめてその風致を添うべし」なんて手紙を書いてます。こんなやつを衆議院議員にしていいのか帝国議会。
そんなえもりんが将棋を指したら。
「将棋の闘は敵方の王を獲るを勝とす。枝盛はすなわち王を失うも屈せず、曰く、国は国王を失うとも人民なお共和にて戦いを続くに足ると。金銀香歩を失うて一駒を存せざるに至りすなわち已む。その遊戯といえども一箇の見識を備えて脱俗の境に達する大率(おおむね)比類なり。」
・・・もちろん、明治時代の将棋は取った駒再使用可のルールです。
よっぽど実力差がない限り、果てしなくゲリラ戦が続きそうなんですけど。共和制的ではあっても平和主義的ではないようですこのルール。中将棋でさえ終盤はだれるのに。
あそびにんから転職してけんじゃになったような(いや、逆か?)ゆかいな先駆者植木枝盛。今回の論文でもお世話になりそうです。