核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

どろばう(森鴎外 『渋江抽斎』より)

 幕末の医師、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)は勤王家でした。ある貴人のために八百両の寄付金を集めていたのですが、その使者と自称する三人組が金をゆすりに現れます。その時、入浴中だった妻の五百(いお)は。例によって青空文庫より。
 
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 その六十一

 刀のhttp://www.aozora.gr.jp/gaiji/2-15/2-15-85.png ( つか ) に手を掛けて立ち上った三人の客を前に控えて、四畳半の 端 ( はし ) 近く坐していた抽斎は、客から目を放さずに、障子の開いた口を 斜 ( ななめ ) に 見遣 ( みや ) った。そして妻五百の異様な姿に驚いた。
 五百は 僅 ( わずか ) に 腰巻 ( こしまき ) 一つ身に 著 ( つ ) けたばかりの裸体であった。口には懐剣を 銜 ( くわ ) えていた。そして 閾際 ( しきいぎわ ) に身を 屈 ( かが ) めて、縁側に置いた 小桶 ( こおけ ) 二つを両手に取り上げるところであった。小桶からは 湯気 ( ゆげ ) が立ち 升 ( のぼ ) っている。 縁側 ( えんがわ ) を戸口まで忍び寄って障子を開く時、持って来た小桶を下に置いたのであろう。
 五百は小桶を持ったまま、つと 一間 ( ひとま ) に進み入って、夫を背にして立った。そして沸き返るあがり湯を盛った小桶を、右左の二人の客に投げ附け、銜えていた懐剣を 把 ( と ) って 鞘 ( さや ) を払った。そして 床 ( とこ ) の 間 ( ま ) を背にして立った一人の客を 睨 ( にら ) んで、「どろぼう」と一声叫んだ。
 熱湯を浴びた 二人 ( ふたり ) が先に、http://www.aozora.gr.jp/gaiji/2-15/2-15-85.png ( つか ) に手を掛けた刀をも抜かずに、座敷から縁側へ、縁側から庭へ逃げた。跡の一人も続いて逃げた。
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 坂本龍馬にも似たような挿話がありましたが、これは抽斎・五百夫妻の実子の渋江保から森鷗外が直接聞いた話だそうです。
 昔読んだ岩波文庫では旧かなで「どろばう」と表記されていました。この緊迫した状況と、全裸でどろばうなギャップがなんか好きです。