本来なら今昔物語から読むべきだったのですが、あっちは冊数が多すぎたので。
三河入道(大江定基 962~1034 頭注より)が俗人だった頃。愛妻に先立たれ(「口を吸いたりける」との描写あり。貴重な中世のキスシーン)、いけにえのイノシシが生きたまま切り裂かれるのを見て、人生に迷いを感じます。
出家の志を固めるために(?)、大江定基はキジを生かしたまま毛をむしり、切り裂いて炒焼きにしたものの、ついに残酷さに耐えられずに泣き出し、その日のうちに三河を出て法師になったそうです・・・。
動物を殺して地獄に落ちたとか、助けた動物が恩を返した話はよくあるのですが、この話はそうではなく、「ただの動物」を殺すことの残酷さを追求しています。
「鳥の、目より血の涙をたれて目をしばたたきて、これかれに見合わせけるを見て、え堪へずして立ちて退く者もありけり」。
現世や来世での報いのためではなく、「え堪へずして」(堪えられずに)。
個人的な事情のためにキジ一羽を無駄死にさせた三河入道のやり方はどうかと思うのですけど。食べるために動物を殺すのは仕方ないにしても、必要以上に残酷なやり方をすべきではない、というのが、現時点での私の立場です。