核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「三河入道、遁世の事」(『宇治拾遺物語』より)

 本来なら今昔物語から読むべきだったのですが、あっちは冊数が多すぎたので。
 「鼻」「芋粥」といった芥川文学や、こぶとりじいさんの原作(「鬼に瘤取らるる事」)もあるわけですが、今回のめあては動物関係です。
 巻第四、「七 三河入道、遁世の事」。小学館『新編日本古典文学全集50 宇治拾遺物語』159~161ページ。
 三河入道(大江定基 962~1034 頭注より)が俗人だった頃。愛妻に先立たれ(「口を吸いたりける」との描写あり。貴重な中世のキスシーン)、いけにえのイノシシが生きたまま切り裂かれるのを見て、人生に迷いを感じます。
 出家の志を固めるために(?)、大江定基はキジを生かしたまま毛をむしり、切り裂いて炒焼きにしたものの、ついに残酷さに耐えられずに泣き出し、その日のうちに三河を出て法師になったそうです・・・。
 動物を殺して地獄に落ちたとか、助けた動物が恩を返した話はよくあるのですが、この話はそうではなく、「ただの動物」を殺すことの残酷さを追求しています。
 「鳥の、目より血の涙をたれて目をしばたたきて、これかれに見合わせけるを見て、え堪へずして立ちて退く者もありけり」。
 仏教徒でも菜食主義者でもない私に言う資格があるかはわかりませんが、本当の悟りとはそういうものだと思うのです。
 現世や来世での報いのためではなく、「え堪へずして」(堪えられずに)。
 個人的な事情のためにキジ一羽を無駄死にさせた三河入道のやり方はどうかと思うのですけど。食べるために動物を殺すのは仕方ないにしても、必要以上に残酷なやり方をすべきではない、というのが、現時点での私の立場です。