何年の話かは不明ですが、すぐ後に渋江夫妻とウナギを食べる話があるところから、幕末の事と思われます。
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わたくしは榛軒 軼事 ( いつじ ) 中飲饌の事を記して其半に至つた。剰す所は豚料理の話があり、又鰻飯の話がある。
豚は当時食ふ人が少かつた。忌むものが多く、 嗜 ( たし ) むものが少いので、供給の乏しかつたことは想ひ遣られる。豚は 珍羞 ( ちんしう ) であつた。
一日 ( あるひ ) 薩摩屋敷の訳官能勢甚十郎と云ふものが榛軒に豚を贈つた。榛軒は家にゐなかつた。妻志保は豚を忌む多数者の一人であつたので、直ちに飯田安石にこれを棄つることを命じた。安石は 豚肉 ( とんにく ) を持つて出た。
榛軒は家に帰つてこれを聞き、珍羞を失つたことを惜んだ。榛軒は豚を嗜む少数者の一人であつたからである。
志保は己の処置の 太早計 ( たいさうけい ) であつたのを悔いて、安石に何処へ棄てたかと問うた。
安石は反問した。「若し先生が召し上がるのであつたのではございませんか。」
「さうなのですよ。それで何処へお棄なすつたかとお尋するのです。」
「さうですか。それなら御安心下さいまし。あなたが棄てろと仰やいましたから、あの榎の下の五 味溜 ( みため ) に棄てたには相違ございません。しかしあの綺麗な肉を五味の中に棄てるのが惜しかつたので、http://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-86/1-86-31.png冬 ( ふき ) の葉を沢山取つて下に鋪いて、其上に肉をそつと置きました。そして肉の上にもhttp://www.aozora.gr.jp/gaiji/1-86/1-86-31.png冬の葉を沢山載せて置きました。」
榛軒は 傍 ( かたはら ) より聞いて大いに喜んだ。そして安石に取つて来ることを命じた。既に夜に入つてゐたので、安石は提燈を点けて往つて取つて来た。肉は毫も汚れてゐなかつた。
榛軒は妻の忌むことを知つてゐたので、庭前に 涼炉 ( こんろ ) を焚いて肉を 烹 ( に ) た。そして塾生と共に飽くまで 啖 ( くら ) つた。
榛軒は鰻の蒲焼を嗜んだ。渋江保さんは母山内氏 五百 ( いほ ) の語るを聞いた。榛軒は午餐若しくは晩餐のために抽斎の家に立ち寄ることがあつた。
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・・・床に落ちても5秒以内ならセーフ、みたいな感覚でしょうか。ブタのタブー(回文っぽいな)は根強いものがあったようです。