伊沢一族の主君であり、幕末には老中として政界で活躍(?)した阿部正弘。そんなアベさんのお正月風景です。
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その二百四十四
天保八年は蘭軒歿後第八年である。此年の元旦は、阿部家に於ては、新主正弘の襲封初度の元旦であつた。正弘は江戸邸に於て家臣に謁を賜ふこと例の如くであつたが、其間に少しく例に異なるものがあつて、家臣の視聴を驚かした。
先例は藩主出でて席に就き、前列の重臣等の 面 ( おもて ) を見わたし、「めでたう」と一声呼ぶのであつた。然るに正弘は 眸 ( まなじり ) を放つて末班まで見わたし、「いづれもめでたう」と呼んだ。新に添加せられたのは、唯「いづれも」の一語のみであつた。しかし事々皆先例に 遵 ( したが ) ふ当時にあつては、此一語は能く藩士をして驚き且喜ばしめたさうである。想ふに榛軒も亦此挨拶を受けた一人であらう。是は松田道夫さんの語る所で、渡辺修二郎さんの「阿部正弘事蹟」に見えぬが故に書いて置く。伊勢守正弘は此時十九歳であつた。
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先例は藩主出でて席に就き、前列の重臣等の 面 ( おもて ) を見わたし、「めでたう」と一声呼ぶのであつた。然るに正弘は 眸 ( まなじり ) を放つて末班まで見わたし、「いづれもめでたう」と呼んだ。新に添加せられたのは、唯「いづれも」の一語のみであつた。しかし事々皆先例に 遵 ( したが ) ふ当時にあつては、此一語は能く藩士をして驚き且喜ばしめたさうである。想ふに榛軒も亦此挨拶を受けた一人であらう。是は松田道夫さんの語る所で、渡辺修二郎さんの「阿部正弘事蹟」に見えぬが故に書いて置く。伊勢守正弘は此時十九歳であつた。
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