核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

夏目漱石『彼岸過迄』の電話使用法

 この作品は学生時代に読んでいたはずなのですが、昨日ある論文を読んではじめて気づきました。
 主要人物の一人須永が、従妹の千代子に「いっしょに」電話をかけてくれと頼まれる場面。青空文庫より。

   ※
 僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄かれて、咽喉のどが痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」
 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈まえこごみになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独ひとり彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶あいさつを大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽こっけいも構わず暇がかかるのも厭いとわず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発ちょうはつするような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲こごんだまま、おいちょいとそれを御貸おかしと声をかけて左手を真直まっすぐに千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々いやいやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――
   ※

 当時の電話は送話器と受話器が別々だったから、二人で電話をかけるのも可能だったわけですが、それにしても挑発的な行為です。煮え切らないくせに嫉妬深い須永の真意を試そうとしたのでしょうか。