広島・長崎への原爆投下の正当性を主張するこの本。
華麗に論破できたらさぞ気持ちいいだろうと思いまして。久し振りに読み直してみました。
まず連想したのは、三浦氏の別の本に出てくる「慈悲深い殺人のパラドクス」です(『論理サバイバル』132頁)。「殺さなければならないなら穏やかに殺すべきである」という前提から、「殺すべきである」という結論は出てこない、という主旨です。
(2020・8・11追記 『戦争論理学』213頁にも「慈悲深い殺人のパラドクス」は論じられていました)
「あなたが大戦末期の日米いずれかの指導者だったら、本土決戦よりも原爆投下を選ぶべきである」と主張する『戦争論理学』も、大筋のところで「慈悲深い殺人のパラドクス」に陥っているのでは?と思います。「もし戦争を遂行するなら」という仮定から「殺すべきである」という結論が導かれているわけです。
この本とはもう二・三日つきあうことになるかもしれません。