核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

うらやましさ、あるいはカタログから喚起される欲望について

 前回、前々回はまるで、のび太にラジコンを自慢するスネ夫のように、得意げにTRPG遍歴の自慢をしてしまったことをお詫びします。私はスネ夫ほど贅沢ではないので、古本で入手したり、友人から払い下げてもらったルールブックも多いのです。

 どちらかといえば、私は射撃とあやとりの才能がないのび太に近い人間でして。

 面白そうなものを見ると、すぐうらやましがり、真似したくなってしまうのです。

 それらを全部入手する購買力はないので、雑誌の広告やカタログを見て、断片的な情報をつなぎ合わせてあれこれ妄想していたものです。更級日記の、源氏物語の断片しか教えてもらえなかった菅原さんのように。

 欲しいものはなんでも買えるスネ夫型と、うらやましがるしかない、ドラえもんのいないのび太型。はた目にはスネ夫型のほうが幸福でしょうが、案外そうでもないかも知れません。うらやましいというのも、一種のエネルギー源です。

 明治の日本を急激に発展させたのは、西洋文明へのうらやましさでした(極論)。

 戦後の日本を経済復興させたのも、アメリカの豊かさへのうらやましさです。

 現代日本の不幸は、うらやましいと思えるモデルを持たないことではないでしょうか。軍事大国なんかではなく、世界がうらやむような平和な国家のモデルを、提示していきたいものです。