核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎『関東武士』(1894(明治27)年刊行)

 あらためて、黒岩比佐子さんとはもっと早くお会いして教えを乞いたかったと、つくづく思います。 この『関東武士』も、下記のブログを拝見しなければ見逃すところでした。
 
 
 以下、あらすじを引用させていただきます。
 
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 『関東武士』は徳川三代将軍家光の時代の話である。大坂城落城後、徳川の天下となったが、鹿児島の島津家の動向が気になった家光は、お気に入りの近習である18歳の大河内市之丞に、ひそかに鹿児島の様子を探らせる。実は、大阪夏の陣で自害したとされていた豊臣秀頼は、真田幸村らと共に城を抜け出して、鹿児島の島津公のもとで庇護されていた。そして、江戸城に攻め上る機会を虎視眈々とうかがっていた――というもの。
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 後の長編『日の出島』の作中劇、「日の出山」の原型です。
 比較してみると、幸村らが秀頼に殉死するに至る心情は、「日の出山」の方でより描写が深められており、安直な二度売りというわけではありません。
 一方『関東武士』では、「日の出山」では「モー飽きちゃったのよ」の一言でカットされた後半部が読めます。江戸城に生還した市之丞の報告を家光が受け、幸村の遺言にあった、天下泰平のために「徳を養ふ」ことを誓う結末がはっきりと書かれています。
 上記「古書の森日記」によれば、『関東武士』は「『郵便報知新聞』に連載されたのは明治25年」とのこと(1892年)。これは初出で読む価値がありそうです。日清戦争前の弦斎の平和観を知るためにも。