今回の論文の副題は、「ジャーナリストはいかなるデモクラシーを描いたか」あたりでいこうと思います(細かい変更はあるかもしれません)。
「ジャーナリズム」でないのが残念ですけど。新聞小説だったらよかったんですけどね。
比重は「いかなる」の部分です。デモクラシーといっても各人各様で様々な定義があるわけですが、矢野龍渓が描いたデモクラシーとは何か。
とりあえず、冒頭近くに、「人民に政権」と書いて「デモクラシー」とルビをふった箇所があります。
目的格なので、主格になおすと、たびたび出て来る言葉「人民参政」あたりが「デモクラシー」なのではないかと。
では、人民参政ならば何でもデモクラシーなのか。人民が人民参政を否定する執政者を選んでもデモクラシーなのか。そのあたりは作品に即して答えていきたいと思います。
とりあえず言えることは、憲法とか議会といった入れ物だけでなく(もちろん大事ですけど)、それらを運用するかけひきの諸技術をひっくるめて、デモクラシーと総称していたのではと思うのです。