一日のごぶさたをお詫びします。さて。
夏ばての頭で「物語」についてあれこれ考えました。リオタールのいう「大きな物語」とかではなく、通俗(と言われる)小説とかゲームとかの物語について。
実のところ、パソコンの画面に映った広告の、「今後もコラボ、アプデ続行!」とかいう文面がきっかけです。なぜ物語はアプデ(アップデート)を必要とするのか。通俗(とされる)小説は連載や続編という形式を必要とするのか。
それらの物語にひかれる人々(私もその一人です)にとっては、物語の続きが気になるから物語を消費しているわけです。それなのにいわゆる物語論や構造主義は、物語を完結した状態からしかとらえていないのではないかと。
……すでに誰かによって論じられている問題なのかも知れません(イーザーあたり?ちょっと違うようです)。もう長いこと国会図書館に行ってないので。次回はいつになるかわかりませんが、「物語の続き論」といったものがないか探してみます。