仕方がないので今村仁司『現代思想の冒険者たち 22 アルチュセール 認識論的切断』(講談社 一九九七)を読みます。
表紙の折り返し部分によると、「高等師範学校の復習教師として、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ピエール・ブルデュー、ジル・ドゥルーズらの優れた哲学者を育てた」そうです。そうそうたる顔ぶれ。
復習教師というのがどういうものかは知りませんが、単に学校で教えたレベルではなく、フーコー、デリダ、ドゥルーズ、リオタールらは、「アルチュセール・テーゼを多種多様に変奏していった」とのこと。
しかしなんでこのへんの人たちは、「人間の死」だの「主体の死」だの「形而上学の死」だの「大きな物語の終り」だの、なんでも死んだり終わったりさせたがるんでしょうか。言いたいことはありますが、週末に『資本論を読む』を入手してからにします。