『「ならずもの国家」異論』という本のある箇所で、吉本隆明は以下のように述べています。
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ただ、敵が目の前まできてじぶんの親しい人とか肉親が殺されたりしたときはどうするか。そういうときはぼくだったら戦います。ゲリラになっても戦います。反戦も平和もあるものかと思います。
吉本隆明『「ならずもの国家」異論』光文社 2004 91頁
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ここを読む限り、吉本隆明は平和主義者でも護憲論者でもない、としか読めないのですが。同じ本の別の箇所ではこうも述べています。
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ぼくじしんは平和憲法第九条についてこういう思いを抱いています。あの非戦の条項は敗戦間もないころの国民大衆の実感に適っていたし、しかも百数十万人の国民大衆の戦争死によってあがなわれた唯一の戦利品だということです。(略)
思想的にも世界に先駆けた優れた条項で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない「超」先進的な世界認識だといえます。
吉本隆明『「ならずもの国家」異論』光文社 2004 56~57頁
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では、吉本隆明は護憲論者だったのか、「反戦も平和もあるものか」との発言は何だったのかというと、それも違うのです。
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憲法にしたがわなければならないのは政府と自衛隊と官僚たちであって、国民一般は要するに個人でもあるわけですから、したがうまいとおもったらしたがわなくてもかまわないわけです。たしかにぼくらも国家の一員にはちがいないけれども、個人でもあるわけですから、個人である国民一般は憲法に反するもへちまもないんです。
吉本隆明『「ならずもの国家」異論』光文社 2004 204頁
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日本国憲法は官吏服務規程ではなく、まさに国民一般が守るべきものなのですが。
この三番目の引用はそれ自体間違っているのみならず、前の引用とも矛盾しています。支離滅裂です。