差別者側の差別意識なのですが、なぜか「世間」はそれを被害者側に見いだしがちなのものです。
差別者は差別し返されるべきだ、なんてことは言いません(それは「火つけ彦七」への道です)。しかし、カメラを向けて分析されるべきは、被害者ではなく差別者のほうであるとは思います。
「自分は普通の人間だ。○○のやつらとは違う」という方々こそ、学術的な分析の対象になるべきだと思います。差別被害者の側をいくら分析しても、たぶん差別の真の原因はそこからは出てきません。
差別者側の差別意識なのですが、なぜか「世間」はそれを被害者側に見いだしがちなのものです。
差別者は差別し返されるべきだ、なんてことは言いません(それは「火つけ彦七」への道です)。しかし、カメラを向けて分析されるべきは、被害者ではなく差別者のほうであるとは思います。
「自分は普通の人間だ。○○のやつらとは違う」という方々こそ、学術的な分析の対象になるべきだと思います。差別被害者の側をいくら分析しても、たぶん差別の真の原因はそこからは出てきません。