村井弦斎にしろ福地桜痴にしろ、なにぶん百年以上前の作家なので、百年以上後の読者から見れば遅れた点や欠点は多々あります。とはいえ、その欠点をまのあたりにするのは、正直言って愉快ではありません。
たとえば、福地のヒット作であり、歌舞伎にもなった『侠客春雨傘』。主人公の暁雨(げうう)が、被差別部落民から杯を受ける場面があります。以下、近代デジタルコレクションより引用。
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大名だらうが同じ人間何(いづ)れに変(かはり)は無い筈だに、此世の中の不自由さ、町人に生れた悲しさは
(略。自分も町人出身のために武士に頭が上がらなかったという過去を語り)
どんな武士にも頭を下(さげ)ぬ其代りに世界の人は皆兄弟、世間の奴等が勝手に附(つけ)た身分の符帳それに貪着(とんちやく)する様な暁雨じやァ無(ない)ぜ
(一七二~一七三頁)
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あれ、全然差別的じゃないんじゃないの。ここだけ読むとそう思うでしょ。
ところが、この暁雨という主人公が、別の場面(一五七~一五八頁)ではどう弁明しようもない差別的言辞を吐いているのです。北川鉄夫氏は上記の暁雨が語った人間平等論を、うわべだけのものと批判しています。
平等思想らしきものを抱いていたのに、例の意志の弱さゆえに貫徹しきれなかった福地。いつものことながら残念です。