久しぶりに論文読んでて爆笑しました。もちろん、中塚氏の論展開がおかしいわけではありません。扱われているコンテンツに対してです。こういう論文を待っていました!
専門家が何といおうと、太公望の左右にいる二人はヨウゼンとナタクであり、ヨウセンとナタでも、ましてやナージャでもないのです。やたら足の速いきこりはブキチであってブキツではないのです。日本の『封神演義』ファンにとっては。
の順序でさかのぼったので、故安能務が好き勝手に改変していることは存じています。功罪相半ばする人物です。その「罪」の部分はすでに二階堂善弘氏が苦言を呈していますが、「功」の部分にスポットをあてたのがこの中塚論。
TRPG『央華封神』はもとより、CLAMPの『X』、『新機動戦記ガンダムW:にも言及し、「ナタク」という読みとキャラが日本で定着していく過程を考察なさっています。中塚論にないナタク情報を二つほど補足すると、『女神転生』シリーズの一つ『ソウルハッカーズ』というコンピューターゲームでは「幻魔ナタタイシ」という仲魔(ナタクタイシではなく。なお「仲魔」は誤字ではありません)がでてきますし、これもコンピューターゲームの『ファイナルファンタジー7』では、「ギ・ナタタク」という中ボスがでてきます。後者はあるいは無関係かもしれませんが、李ナタクから名前を借りた可能性もあります。
安能「訳」でナタク以上に問題なのが申公豹。チートキャラです。「ぼくのかんがえたさいきょうのどうし」です。7億パワーのスキーマンです。中塚論は、主人公らの正義とは違う、もう一つの「正しさ」を具現する存在として評価なさっています。安能版は古典封神演義の翻訳ではなく、ひとつのオリジナリティをもった作品として再評価できる、とのご結論には同意します。
ここからは中塚論を離れた私の感想ですが。神々への信仰と、架空人物への「推し」は、地続きの感情だと思うのです。聞仲や趙公明や黄飛虎といった封神演義由来の人気キャラは、現代では実際に神として祭られているそうです。
フィクションのヒーローが、作中で悲劇的な最期を経た後、信仰の対象となる現象。安能務ならぬ原作者はそれを「封神」と呼んだのではないか・・・・・・。言い過ぎかな。死んでないナタクも信仰の対象だし。もう、『アンニュイ学園』が公式でいいよ。
追記 「メアリー・スー」を検索したところ、侮蔑的なニュアンスがあるとのことでしたので、「チートキャラ」に書き直しました。7億パワーのスキーマンともども、興味のある方はご検索ください。
追記2 書誌情報を貼り忘れてました。『金城学院大学論集. 人文科学編』 = Treatises and Studies by the Facalty of Kinjo Gakuin University. Studies in Humanities 19 (1), 183-194, 2022-09-30