核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『ドラゴン水滸伝』、全編視聴しました

 原題『封神傍』。『封神演義』のアニメ化作品です。日本では一九八〇年上映、同年テレビ放映。チャンネル権のなかった幼少時の私は、テレビの最後のほうだけ見た記憶があります。

 香港作品とのことで、カンフー映画のようなアクションが随所に見られますが、正直なところ演出がくどくどしく冗長でした。忙しい方は2倍速での視聴をおすすめします。私もそうすればよかった。

 殷から逃げ出す難民の中に、やけにイケメンがいるなと思ったら武吉でした。

 たきぎを背負って竜巻法師(太公望)に出会い、きこりから武将にとりたてられます。母との再会や雑魚兵士との格闘はやけに長々と描かれますが、敵のこうもり将軍(辛環?)に空中から落とされて、その後は登場しなくなります。「封神傍」の巻物は裏面が描かれるのみなので、生死、いや封神されてしまったのかは定かではありません。

 それ以上に美形なのが太郎(ナタク)。中国風長髪に裸エプロン姿で、知らずに見た人は女の子と思ったのではないでしょうか。そのエプロンを投げつけて戦う場面もあったりして。戻ってきたエプロンをキャッチする一瞬で、太郎と判明するわけですが。え、構築主義?J・バトラーはこの際忘れましょう。

 敵は聞仲らしきヒゲ大将軍が率いる、鬼首法師(申公豹)や、頭にドリル角のもぐら小僧(土行孫)、四大魔王(魔家四将)。原作ではぱっとしなかった土行孫が、周の助っ人に来た荒鷲(雷震子)を討ち取るなど、敵として活躍しています。魔家四将は全員同じ顔ですが、それぞれ剣、傘、琴、大蛇を操ります。

 殷への忠義と周への恩義の狭間で葛藤する、黄飛虎一族が一人も出てこなかったこともあり、黄飛虎の理解者だった聞仲も底の浅いテンプレ悪役と化しています。のどの奥丸出しで笑う聞仲は見たくなかった。最期は原典通り、「絶竜嶺」と彫られた崖で焼死。趙公明や十天君らは出てきませんでした。

 後半はリー大人(ヨウゼン)一人舞台。親指なめながらのカンフーと変身術でVS申公豹、VS九尾狐(妲己)、そしてVS紂王。もうこいつ一人でいいんじゃないかな。

 原典や藤崎竜封神演義』には及ぶべくもない作品ですが、興味のある方はyoutubeでどうぞ。バズれば『封神演義』再評価のきっかけになるかもなので。