核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

拙論きらい

 毎度、ばかばかしい論文裏話を。

 自分の書いた論文を、また自分の新しい論文で言及する場合、「拙論「○○」によれば・・・・・・」と書く習慣が文学研究にはあるんですが、あれがどうも私苦手で。謙遜を通り越して卑下になってそうで。「拙は核通亭廃絶でやす」なんて、落語家じゃないんだ私は。

 ただの論文ならまだしも、「拙名古屋大学大学院博士論文によれば」なんて書いた日にゃ、名古屋大学まで卑下してると思われそうです。いやしくも査読を通った論文であれば、査読者や掲載誌の名誉のためにも、「拙論」は使わないほうがよさそうです。

 そこまで私スゲーとうぬぼれているわけではなく、「電話機」論のように後から誤読箇所が見つかる例もあります。そういうミスは明確に訂正し謝罪すべきですが、論の骨格そのものに問題がない限りは、「私の論文「○○」」か「菅原健史の論文「○○」」で通すことにします。

 「拙論」という言葉を使っていても、注釈や参考文献が「拙論」ばっかしの、謙遜の心がまったく感じられない論文もあります。そんな「拙論」なら使わないほうがましです。

 「拙」というのが謙遜ではなく実態を表す語だとしたら、小林湯川対談こそ、「拙対話」と呼ぶべきかと・・・・・・お後がやばいようで。