初期設定というか、アイディアはよかったと思うんですよ。
幕末から明治元年のままの感性を持った女性が、明治二十年代の東京に出て、文明開化の世を批評するという設定は。デジタルコレクションでは読めない作品ということもあり、『都新聞』縮刷版で読む前は、国民国家への代案ある批判といったものも期待していました。
が、実際の作品では、明治の社会への批判はほとんど見られませんでした。
たとえば、丹澤山での奥山と今野の会話。コピーはとらなかったので意訳ですが。
奥山「今の天下は誰が将軍でござるかな」
今野「天下も何も、天皇陛下のご親政に決まっているでしょう」
奥山「いや、それは存じておる。陛下の下で薩長の誰が将軍かと聞いたのでござる」
今野は話題をそらしてしまうのですが、これ、けっこう明治政府の痛いところをつきかねない質問だと思うのです。なお、明治26年時点での総理大臣は長州出身の伊藤博文。『都新聞』では新参者の弦斎、政府批判ととられるのを恐れて筆が進まなかったのではないでしょうか。
お花が東京に出てからの展開も、明治の表面的な風俗を見て驚く描写はあるのですが、抜本的な文明批評は見られませんでした。お花はことあるごとに、父ゆずりの口癖「伯夷叔斉(はくいしゅくせい 殷の滅亡に殉じた隠者)の跡を踏んで」と語るのですが、無知な今野の妻がそれを聞いて「何白衣を踏んだら汚れるだろう」とかなんとか聞き違える、あまり面白くないギャグがある程度です。カルチャーギャップはギャグの宝庫だと思うのですが。
設定を生かしきれず、アイディア倒れに終わってしまった惜しい作品です。おそらく、私がこの作品で論文を書くことはないでしょう。挑戦したい方はぜひどうぞ。