核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アナルコ・キャピタリズムとリバタリアニズム、その是非

 木村貴『反資本主義が日本を滅ぼす』のあとがきに、以下のような一節がありました。

 

 「現在のリバタリアニズムには政府の存在そのものを認めない無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)という急進的な一派を含み、私自身それに共感しているが、元来は別に過激な思想ではない。政府は経済・社会に極力干渉しないという、つい百年前かそこらまで常識だった政治哲学にすぎない」(305~306頁)

 

 無政府資本主義。伊藤野枝の無政府共産主義とは真逆の思想ですが、これにも私はむかし興味を持ち、ノージックアナーキー・国家・ユートピア』や、笠井潔『国家民営化論』を読んだことがあります。私にはとうていついていけないという結論に達して、そのまま忘れかけていましたが。

 管理社会や国民国家が好きとは言いませんが、それらがなかったらなかったで困るのです。だいたい、水道も警察も貨幣発行もすべて企業の手にゆだねてしまったら、その企業はもはや政府以上の独裁権力と化し、結局は国民国家以上の管理社会に陥ることになるでしょう(『シャドウラン』のやりすぎ?そうでもありません。「小さな王国」の読み過ぎではあるかも)。

 資本主義だろうと共産主義だろうと、無政府主義には賛同できません。木村著には学ぶところも多かったのですが、すべて政府が悪い、政府の規制さえなければ資本主義に問題はない、という論調にまではついていけませんでした。その根底にあるというリバタリアニズム自由至上主義)にも。