核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

内村鑑三の非戦論には同意できない

 当ブログは明治時代と平和主義を扱っていながら、内村鑑三についてはあまり語らずにきました。

 率直に言って、私は内村鑑三が提唱した非戦論には同意できないのです。内村が日露戦争に反対したことは事実ですし、その勇気だけは讃えられるべきですが、その非戦論とは、具体的には以下のような形をとっているからです。

 

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 可戦論者の戦死は戦争廃止のためには何んの役にも立たない、然れども戦争を忌み嫌らい、之に対して何の趣味をも待たざる者が、(略)敵弾の的となりて戦場に彼の平和の生涯を終るに及んで、茲に始めて人類の罪悪の一部分は贖われ、終局の世界の平和は其れ丈け此世に近づけられるのである、(略)逝けよ両国の平和主義者よ、行いて他人の冒さざる危険を冒せよ、行いて汝等の忌み嫌ふ所の戦争の犠牲となりて殪れよ、
内村鑑三 「非戦主義者の戦死」 『聖書之研究』一九〇四年一〇月

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 平和主義者に、「戦場に行け、行って無抵抗で戦死せよ」と、内村は述べているのです。実際に内村は、「徴兵を拒否したいんですけど」と相談に来た青年に、徴兵に応じるよう説得した、という挿話も伝わっています。

 内村自身にとってはいいことずくめでしょう。「徴兵に応じよ」と訴えれば、明治政府からにらまれずにすみますし(実際、内村および『聖書之研究』誌は、社会主義系の反戦誌『平民新聞』がこうむったような弾圧は受けていません)、内村自身は何の危険も犯すことなく、彼のいう二つのJ(JAPANとJESUS)の間の矛盾を調和させられるのですから。

 しかし、私はこんな「非戦論」には同意できません。同時期の与謝野晶子

 

 「すめらみことは戦いに おほみづからは出でまさね」

 

 と詠み、安全な場所から国民を戦場に送り出す明治天皇を批判しましたが、同じ批判が内村鑑三にもあてはまってしまいます。安全な場所から戦争を賛美する者をチキンホークと呼ぶように、内村鑑三はチキンピジョンと呼ばれるべきでしょう。