この中川智寛というお人は、私の同期でもあり、かつ近年非常にエネルギッシュに論文を発表なさっています。ずいぶん差がついたもんだ。
その横光利一論の単著がついに出たようです。和泉書院様のサイトより内容を。
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本書は、新感覚派の驍将として一時期は非常に注目された横光利一の小説分析を主体としたものである。特に、「純粋小説論」と同時期に発表された長篇は、これまで論及されていないものも多く、それらが「純粋小説論」の達成度を確認するのに重要であるのが自明でありながら、その文学論と対置する形での分析が行われて来なかったものであり、本書ではそれを志向した。
横光利一が「旅愁」へと誘引されて行く動機として、初期以来、近代・機械文明に対する、厳しい批判眼を持っていて、それが小説作品に形象化されていた事を明らかにした。これらは、「旅愁」の一部に見られる国粋主義的記述とは、一見矛盾するものとも見えるが、横光の場合は、この近代文明への批判意識が、右記した「純粋小説論」の時期を経て、難解と忌避される表象に入って行ったと考えられる。また、未完の長篇小説「旅愁」に関して、作中の歴史に関する記述などに重きを置いて、論述した。
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「近代・機械文明に対する、厳しい批判眼を持っていて、それが小説作品に形象化されていた事を明らかにした。これらは、「旅愁」の一部に見られる国粋主義的記述とは、一見矛盾するものとも見えるが」そこですね。横光の謎は。
私は横光利一研究の最先端から遠ざかって久しいので、うかつなことは書けませんが。『旅愁』に至っては読んだ記憶さえあやふやです。「機械」『上海』といった傑作の作者がどうしてああなったか。横光の全体像に照らして理解したいと思います。
今すぐ買うわけにはいきませんので、同サイトのもくじを眺めながら入手できる日を楽しみに待つことにします。やる気が出てきました。