4 太平洋戦争下の小林秀雄―全集未収録鼎談「海軍精神の探究」をめぐって
引用15 森本淳生 『小林秀雄の論理―美と戦争』 人文書院 2002(平成14)年
吉本隆明にとっては戦争に対する「思想的な負債」が少ない文学者であったにせよ(「小林秀雄の方法」)、小林秀雄の戦争をめぐる言説はたしかに時局と親和的だった。しかし、それを政治的に、また道義的に非難してみても、小林秀雄という稀有な批評家がはらんでいた問題を明らかにすることはできないし、そうである以上、「批判」としても不十分である。(略。鼎談「海軍精神の探究」を引用せずにに言及しつつ)、彼が体制迎合的な戦争イデオローグだったと言うことは不可能である。
引用16 小林秀雄 「私の人生観」 創元社 1949(昭和24)年
私は、武蔵といふ人を、実用主義といふものを徹底的に思索した恐らく日本で最初の人だとさへ思つてゐる。少くとも、彼の名が、軍国主義や精神主義のうちに語られた時、私は、笑はずにはゐられなかつた。
別紙資料3 『大洋』鼎談「海軍精神の探究」
(三国同盟(特にイタリアとの同盟)の熱狂的推進者であり、特別攻撃隊(自爆攻撃)の推進者でもあり、ミッドウェー敗戦直後に大勝利との大本営発表を流した責任者平出英夫大佐を、口々に褒め称える小林秀雄と河上徹太郎)
※「迎合者」ではなく「戦争責任者」と呼ばれるべき。