核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2011-07-05から1日間の記事一覧

なんだろう、この底知れない後味の悪さは。

まちがったことはしていない。 嘘に嘘を重ね、罪のない人々を苦しめてきたのは彼らのほう。 だが、手を汚してしまった事実は消えない。 (加筆)・・・といった自意識など、私はとっくに卒業したのです。 私が本当に悪いことをしたのなら、必ず誰かが裁くで…

発表資料 その5(結論部分)

5 まとめ―小林秀雄のどこに問題があったのか? 引用17 森本淳生 『小林秀雄の論理―美と戦争』 人文書院 2002(平成14)年 戦争を語る小林の論理は、彼の最良の文学的テクストをなりたたせているものと本質的には異なるところがない。(略)戦争にま…

発表資料 その4

4 太平洋戦争下の小林秀雄―全集未収録鼎談「海軍精神の探究」をめぐって 引用15 森本淳生 『小林秀雄の論理―美と戦争』 人文書院 2002(平成14)年 吉本隆明にとっては戦争に対する「思想的な負債」が少ない文学者であったにせよ(「小林秀雄の方法…

発表資料 その3

3 三国同盟の成立過程と、小林秀雄の果たした役割 別紙資料2 「英雄を語る」 『文学界』 1940(昭和15)年11月1日 (ヒットラーを「英雄」と評価し争って礼賛する小林秀雄・林房雄・石川達三) 引用8 山川菊栄 「ナチスと婦人」(『読売新聞』 …

発表資料 その2

2 小林秀雄「我が闘争」における、初出と全集版の本文異同 引用7 小林秀雄全集における本文 「断想」 第1次『小林秀雄全集』第4巻 創元社 1955(昭和30)~1957(32)年 これは全く読者の先入観なぞ許さぬ本だ。ヒットラー自身その事を書中…

発表資料その1

発表題目 小林秀雄における「天才」の問題―ヒットラー観の変遷を中心に 日本文学協会 第31回研究発表大会 2011年7月3日(日) 於名古屋大学 菅原 健史 問題提起 戦前・戦中・戦後にかけて、小林秀雄のヒットラー観はいかに変遷したか 1 小林秀雄の…

7月3日発表 付録 小林秀雄年表

1902(明治35) 4月11日小林秀雄生れる。 1921(大正10) 小林(19)、第一高等学校入学。盲腸周囲炎、神経症のため休学。 1925(大正14) 小林(23)、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学。盲腸炎で手術。 1929(昭和4) 小…