核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

発表資料その1

発表題目 小林秀雄における「天才」の問題―ヒットラー観の変遷を中心に
 
 日本文学協会 第31回研究発表大会 2011年7月3日(日) 於名古屋大学  菅原 健史
 
問題提起 戦前・戦中・戦後にかけて、小林秀雄ヒットラー観はいかに変遷したか
 
1 小林秀雄ヒットラー観についての先行研究
 
 引用1 小林秀雄ヒットラーと悪魔―考えるヒント」 『文芸春秋』 1960(昭和35)年5月
 ヒットラーの「マイン・カンプ」が紹介されたのは、もう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速、短評を書いたことがある。今でも、言いたかった言葉は覚えている。「この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは、一種の邪悪の天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。寧ろ燃え上る欲望だ。その中核は、ヒットラーという人物の憎悪にある」私は、嗅いだだけであった。
 
 引用2 杉野要吉「『戦争下の抵抗文学』ノート―小林秀雄の姿勢に即して」(『日本近代文学』1970(昭和45)年5月)
 小林が『頑固に戦争から眼を転じて了つた』太平洋戦争以後の戦争下の古典批評『無常といふ事』一系の世界は、初期戦争是認姿勢とはあくまで別個に、われわれが「戦争下の抵抗文学」のすぐれた業績と呼ぶに価する中身のものといっていいのではないか、と考える。
 
 引用3 亀井秀雄小林秀雄論 日本の近代作家Ⅰ』 塙書房 1972(昭和47)年
 ある邪悪な精神、ヒットラアがそこにいた。右の文章(引用者注、「神風といふ言葉について」。別紙資料 に該当箇所あり)に少しばかり好意的に語られたヒットラア像の背後に、小林秀雄がどんな邪悪な精神を洞見していたか、「ヒットラアの『我が闘争』」(昭15・9)を読み、併せて「『悪霊』について」(昭12・6~7、10~11)を読み較べてみるならば、おのずと了解されるであろう。(略)小林秀雄は、スターリンよりもむしろヒットラアの方にこそ、唯物主義者の真面目、真の正体を見出していたにちがいない。
 
 引用4 橋本稔『小林秀雄批判』冬樹社 1980(昭和55)年
 太平洋戦争の前の年、小林には『わが闘争』をとりあげた、短文ながら、ヒットラーの本質を抉ってみせた文章がある。(略)小林は、ヒットラーに、邪悪な情念の極限をみているのである。その現れのひとつが、ユダヤ人大量虐殺であった。
 
 引用5 山本七平小林秀雄の政治観」『新潮』1985(昭和60)年6月(『小林秀雄の流儀』 新潮社 1986より引用)
 彼は『我が闘争』を「二十頁ほど読ん」だだけで正確にその真髄を嗅ぎとっている。今この書評を読んでもだれも奇異には感じまい。小林秀雄は戦前と戦後で「ヒットラー観」を変える必要が少しもなかった
  
 引用6 米原万里山城むつみ井上ひさし小森陽一 「第16章 小林秀雄」(『座談会 昭和文学史』第四巻 集英社 2003(平成15)年))
 米原 (小林秀雄に)私が感心したのは、戦争になる前は、その時代状況に必死に抵抗しているでしょう。(略)『ヒットラアの「我が闘争」』を読むと、間接的にだけど批判している。この予見能力はすごいと思う。
 
 ※すべての先行研究が、小林秀雄ヒットラーを一貫して「邪悪」とする批判を高く評価。例外なし