日本文学協会 第31回研究発表大会 2011年7月3日(日) 於名古屋大学 菅原 健史
ヒットラーの「マイン・カンプ」が紹介されたのは、もう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速、短評を書いたことがある。今でも、言いたかった言葉は覚えている。「この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは、一種の邪悪の天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。寧ろ燃え上る欲望だ。その中核は、ヒットラーという人物の憎悪にある」私は、嗅いだだけであった。
小林が『頑固に戦争から眼を転じて了つた』太平洋戦争以後の戦争下の古典批評『無常といふ事』一系の世界は、初期戦争是認姿勢とはあくまで別個に、われわれが「戦争下の抵抗文学」のすぐれた業績と呼ぶに価する中身のものといっていいのではないか、と考える。
ある邪悪な精神、ヒットラアがそこにいた。右の文章(引用者注、「神風といふ言葉について」。別紙資料 に該当箇所あり)に少しばかり好意的に語られたヒットラア像の背後に、小林秀雄がどんな邪悪な精神を洞見していたか、「ヒットラアの『我が闘争』」(昭15・9)を読み、併せて「『悪霊』について」(昭12・6~7、10~11)を読み較べてみるならば、おのずと了解されるであろう。(略)小林秀雄は、スターリンよりもむしろヒットラアの方にこそ、唯物主義者の真面目、真の正体を見出していたにちがいない。
引用4 橋本稔『小林秀雄批判』冬樹社 1980(昭和55)年
太平洋戦争の前の年、小林には『わが闘争』をとりあげた、短文ながら、ヒットラーの本質を抉ってみせた文章がある。(略)小林は、ヒットラーに、邪悪な情念の極限をみているのである。その現れのひとつが、ユダヤ人大量虐殺であった。