核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

神さま業がイヤんなる(姉妹社『よりぬきサザエさん 12』(101ページ)より)

 長谷川町子という方の非凡さの一つは、キリスト教徒にもかかわらず、そしてあれほどの影響力を持ちながら、作品中で護教や宣伝を一切しなかった点です。
 その、来世や神を扱った数少ない例外を以下に紹介します。サザエさん本人は横で見てるだけという、後期によくあるパターンです。
 
 晴れ着を買って喜ぶ母娘と、「お染めになればそれこそ一生もの」とおだてる店員。
 そのデパートの上空の雲に、深刻な顔の老人が二人。
 「午後交通事故で天国にきまス」
 「ときどき神さま業がイヤんなる」
 
 ・・・神の自己嫌悪。非キリスト教的と言っていいテーマです。
 デカルトの『方法序説』によれば、「疑いとか、心の動揺とか、悲しみとかその他同様のものは、私自身がそれをまぬがれたいと思っているのだから、神のうちにはありえない」そうですが、私はデカルトよりも上記サザエさんにより深い哲学を認めます。デカルト批判についてはまた。