『日本略史』や『聖勅』あたりの、昭和戦前戦中の星一の著述を読んでしまうと、正直、熱がかなり冷めてくるのを感じます。が、ここまで『三十年後』を読みかけてやめるのもすっきりしないし、あれはあれ、これはこれということで。
嶋浦翁と案内の三浦一家を乗せて、上野上空をとぶ日本式飛行機。乗合飛行船だ空中売店だとにぎやかなことですが、上野の山に緑が見えません。
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『そればかりは実に残念でした。人間の長命法に就て研究は遺憾なく発達致しましたが、樹木に対しては未だ注射液の発明が有りませんので、其所へ一時、汽車や工場やで石炭を盛んに用ゐました為に、到頭上野を坊主山にして了ひました
(略。大正37年には電力や太陽力に移行しており、再植林も可能なのだが)
樹木を愛護せざる結果は斯ういふ悲惨に終るといふ教訓の実例として、其儘(そのまヽ)にして有るのです』
(近代デジタルライブラリー 星一『三十年後』 55/138)
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この作者には珍しく、現実の悲惨に目を向け、警告する内容です。昭和期の星一に欠けているのはこの批判精神です。