核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

星一『三十年後』 その11 九段坂の上 自分に似過ぎた人

 ユートピア未来小説なんてもんはえてして、作者の都合のいい願望を並べたてただけの退屈な話になりがちでして。今読んでる近デジ版『三十年後』も中だるみ気味になり、「ウソウソ」「バカヤロ」といった落書きが目につきます。気持ちはわかるけど本に落書きはいけません。
 そんな単調さを救っているのが、未来なのになぜか懐かしい上野や浅草の風景。こっちが百年後の読者だからかもしれませんが、本職の村井弦斎が書いた『日の出島』よりも詩情を感じます。そのあたりは江見水蔭の手腕かもしれません。
 そして九段坂。外はおぼろ夜の月。こういう時に飛行機や歩行機では無風流だと、一人駿河台へと歩いていると、向こうからも歩行者がやってきます。若返り薬注射前の嶋浦翁にそっくりの白髪の老人。この似過ぎた人はこちらが九十一歳の嶋浦と知るよしもなく、昔話を始めます。

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 『貴郎(あなた)位の年齢では、何んにも知りますまいが、私達の若い時には、此所の坂の上り口に洋灯(ランプ)を心にした灯台が有りまして、それを皆人が珍しがツたもんでした。坂も九段といふ位ですから、石段が(ちょうど)九ツ有りましてなア……田安見附の下を電車が通る様に成つたのは、それからズツと後の事ですが、今では其の電車も通らなく成りました』と得意に成つて語りだした。
 (近代デジタルライブラリー 星一『三十年後』 95/138)
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 なんか稲垣足穂を思わせる風情です。この老人が人体焼附写真を悪用した、嶋浦の名を騙る偽物だったというオチさえなければ。これも大正37年社会の裏面。