春秋時代の火災についての記録です。魯の襄公(紀元前572~542)年間。
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九年、春、宋に火災があった。このとき楽喜が司城であって、宰相を兼ねていたが、まず伯氏に町並みを守らせ、まだ火の来ないあたりでは小さな家をこわし、大きな家に目塗りをし、もっこやつるべや水の容れ物を取りそろえ、人々の力を計って火消しの組を作り、水を集め、土を積み、城を見まわって塁をつくろい、焼けてゆく道筋には目じるしを立てて分かりやすくさせた。
(略。人夫・集めた民・右官の受け持ちを決めた後)
向戌(しょうじゅつ)に左官を支配させた。
(232ページ)
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左官といっても壁塗り要員ではなく、「朝廷の官人を左右二班に分けてあったのだろう」と、235ページの訳注にありました。向戌が「し組」のはっぴを着てまといを振ってたわけではない…と思います(かっこいいけど)。
人類の災いは戦争だけではありません。天災・火事・交通事故といった各種の災害は、春秋左氏伝の時代から今日に至るまでの問題です。向戌が戦争ではなく、消火活動によって歴史に登場したのは名誉なことです。
反戦小説だけではなく、防火小説、交通事故防止小説があってもいいと思うのです。志賀直哉の文章はあまり好きではありませんが、彼の交通事故へのこだわりは注目されるべきだと思います。