核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

塩野七生『ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊』(新潮社 二〇一七) その2

 同書後半の記述をもとに、民衆をそそのかして戦争を煽り立てた将軍の話でも書いてみようかと思います。
 前半の主人公ペリクレスアテネ民主政最盛期の将軍。パルテノン神殿を建てた人。当ブログでも扱いました)を父親代わりに育った、後半の主人公アルキビアデス。
 アテネの名門中の名門に生まれ、その美貌に言及しなかった史料はなく、哲学者ソクラテスの弟子となり、オリンピックの戦車競技で優勝し、三十歳の若さで将軍位に就き(227~228ページ)という、「ぼくのかんがえたさいきょうのヒーロー」みたいな人。スパルタを仮想敵国とする四か国同盟を結成するなど、政治手腕も非凡でした。
 西方への進出を持論としており、シチリア島への大規模な遠征を企てます。「ニキアスの平和」で知られる政敵ニキアスは反対したのですが、アルキビアデスに煽られた市民に押し切られ、遠征軍に加わることに。
 ところが出征直前に、ヘルメス神像の首が斬り落とされる事件が発生。欠席裁判で犯人扱いされた(ほんとに犯人かもですが)アルキビアデスは召喚中に失踪し、ニキアスが遠征軍をまかされることになります。
 いろいろあって、シチリア遠征軍はニキアス以下全滅。アルキビアデスの野望の巻き添えにされ続けた、避戦論者の理不尽な末路でした。
 一方、アルキビアデスは敵国スパルタに亡命。祖国アテネの為にならないことをやった末、次はペルシアに移転。さらにアテネの海軍基地であったサモス島に行き、その後本国の政局不安に乗じて、ついに一連の罪状を不起訴として、陸海の総司令官としてアテネに迎えられます。
 シチリア島出征者の遺族の感情とか、アテネ側にも色々と割り切れないものはあったのでしょう。アリストパネスも『蛙』(当ブログでも四回ほど扱いました)で、二大詩人の口を借りて、アルキビアデスの能力への評価と、その人間性への疑惑を語らせています。
 それでも結果を出せればまだよくて、スパルタ相手に優勢の時期もあったのですが、部下の敗戦の責任をとらされて再び失脚。蟄居中に何者かに暗殺され、ペロポネソス戦争アテネの敗北で終わるのでした。
 ……そんなアルキビアデスのモザイク画が、同書240ページと241ページの間に収録されてまして、なんか悪だくみを思いついたような微笑を浮かべています。表紙のペリクレスの生真面目な表情とは対照的です。
 同書にはアテネ歴代指導者の採点表もありますが(226ページ)、アルキビアデスは「運」の20点「持続する意志」70点以外はすべて100点と高評価を受けています。はたして、彼に欠けていたものはそれだけだったのでしょうか。