核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

慎改康之 『ミシェル・フーコー―自己から脱け出すための哲学』岩波新書 二〇一九

 これでも昔はフーコーを読んで、谷崎潤一郎の「小さな王国」をフーコーの権力論で読む、なんて論文を書いたこともありまして。沼倉共和国の監視体制がパストラールでパノプティコンだとかそんなおきまりの内容で、結局投稿はしなかったわけですが。『土佐日記』をドゥルーズガタリで読んだレポートも書いたなあ。
 そんなわけで、フーコーにはいくらか関心がありまして。疑わしい点もありますが(パノプティコン型監獄なんて本当はないじゃないかとか)、全てを否定する気はありません。
 そしてこの本ですが、フーコーについては勉強になりました。特に晩年の『性の歴史』については、一番読みたい第二巻『快楽の活用』だけがとなり町の図書館にもなかったこともあって。未刊の第四巻『肉の告白』が、二〇一八年に公刊された(同書一六四ページ。てことは日本語訳も近い?)なんて新情報もありました。
 フーコーについては勉強になったのですが、それがどれだけ現実に基づくものか、実証的な考証に耐えられるものかとなると、少し心もとありません。フーコーの脳内考古学では仕方がないわけで。