秀吉、家康政権における、「平和」概念にちょっと興味が出てきまして。彼らは何を大義名分として、諸大名に戦争停止を命じたのか。
といっても図書館には行けないのでウィキペディアで下調べした程度ですが。
その一例を挙げると。島津義久あて書状より。
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(現代語訳)勅定(帝の命)についてお伝えする。さて関東はもとより奥州の果てまで帝の命に服し、天下は平穏であるのに、九州においては今なお干戈を交えることが発生しており、これは怪しからぬことである。国・郡の境界は協議を行い、双方の言い分は帝に聞き届けられ、追って沙汰があるだろうから、まず敵味方双方ともに弓矢をおさめることこそ、帝の思し召しである。その御意志に沿うことは当然のことであるから、この旨に従わぬ者は、必ずや御成敗なされるであろう。この命に対する返答は各々方には一大事であるから、十分に分別をもって帝に言上なされるが良い。
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……要するに「帝の命令だから平和にしろ。しないと殺す」というわけで、向戌の弭兵のような「民のため」という視点はみられませんでした。
どっちでも平和ならいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、上からの暴力的な平和というものは、ひずみが生じがちなものです。私としては、刀狩を通常兵器廃絶の例としては認めたくありません。