核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大塚楠緒子「進撃の歌」(『太陽』一九〇四(明治三七)年六月) その2

 女性文学者である大塚楠緒子が、日露戦争中に「日本男児ぞ嗚呼我は」で終わる「進撃の歌」を発表した理由は何か。もう少し書き続けます。

 愛国心、とは言わせません。最前線にいる陸海軍の兵士たちが、総合月刊誌『太陽』を読む余裕などないことぐらいはわかっていたでしょうから(将官クラスなら読んでたかもしれません。要調査)。この詩は兵士に向けて書かれたものではないのです。

 では誰に向けて書かれたかといえば、当然『太陽』の読者である、戦場に出ない、出ずに済む国民が、内包された読者でしょう。こんなに日露戦争を応援しています、お上に逆らう気など全くありません、「名誉男性ぞ嗚呼我は」……といったあたりがこの詩のメッセージです。つまりは、己の地位向上のための戦術です。

 それと同じ地位向上戦術をとったのは彼女だけではなく、徴兵忌避者の夏目漱石も「従軍行」を書きました。漱石は大塚楠緒子の「進撃の歌」を読み、「女のくせによせばいゝのに、それを思ふと僕の従軍行抔(など)はうまいものだ」と自賛しています。こういう安全な場所にいる連中に、「進め、死ね」と命じられる兵士たちこそ気の毒です。

 これはミソジニーでも、文豪批判をやりたいのでもありません。安全な場所にいる者たちが「進めや進め」と英雄面で浮かれる一方で、その犠牲となって進まされ死なされていく兵士たちがいるという現実。それが戦争というものの本質であり、すべての戦争が不正である理由です。