核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

文学は精神的エアコンたりうるか

 酷熱も極寒も、人間にとっては耐え難い状況です。そのために人類は、酷熱を涼しく、極寒を暖かくする、エアコンその他の機具を発明したわけです。

 精神的な面を見ると、ぎちぎちの連帯を強制される圧迫感と、誰とも連帯できない孤独感が、耐え難い状況の両極なのではないかと思います。それらをほどよく緩和する何かが必要になるわけですが、果たして文学はそれになりうるか。

 圧迫感に苦しむ人にはほどよい孤独を、孤独感に苦しむ人にはほどよい連帯感を。

 そううまくいけばいいのですが、文学というのは本を読み終えるまで、その全貌を把握できない型の芸術でして。圧迫感に苦しむ人をさらに圧迫したり、孤独感に苦しむ人をさらに孤独にしてしまったりする、逆エアコンになってしまうこともあるわけです。

 これを私は文学の毒と呼びます。他人事のように書いてしまいましたが、私自身、青少年期にはこの文学の毒にさんざんあたった人間でして。文学研究の道に進んだのも、一つにはこの毒からの治療法を求めてのことでした。

 ただでさえ上からの重圧に苦しむ兵隊さんたちに、「進め、死ね」と命ずる詩を詠んだ大塚楠緒子、夏目漱石北原白秋などは、確信犯的な逆エアコンというべきでしょう。彼らのちっぽけな自己満足と私欲が、どれほど多くの人を犠牲にしたか。