これも『行人』中のセリフです。実際ないです。
長野一郎という人物はそれを求めて苦しみます。ドイツ語や哲学用語混じりでむずかしく語っていますが、要するに人との一体感が欲しいということでしょう。
で、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」との発言になり、一郎はついにそれ以外の解決策を見いだせなかったわけです。
前回述べたように、漱石より少し後の文学者たちは他の道をいろいろ模索した結果、「享楽か、革命か、戦争か」といった道を見つけました。昭和の歴史を暗たんたるものにしたのは、主として後の二つのせいです。
政府を敵に回して同志を集めたり、大国を敵に回して挙国一致を叫んだりすれば、確かに一時的な一体感は得られ、孤独からも解消されるでしょうが、そのつけは高くつきました。革命や戦争で一体感を得ようなど、もってのほかです。
……偉そうに書いてしまいましたが、私もかつて一郎と同じような症状に苦しんだ時期があり、「酒か、抗うつ剤か、研究か」だったのですから世話はありません。ここ十年ほどはようやく、研究一本に充実感を見いだせるようになりました。